こんにちは。サッカー大好き営業マンのカークです。
今や世界で一番人気のサッカーですが、かつてサッカーとラグビーは同じスポーツでした。
サッカーをフットボールとも言いますが、ラグビーもまた同じくフットボールで表されます。
JFA(日本サッカー協会)=Japan Football Association
JRFU(日本ラグビー協会)=Japan Rugby Football Union
元々1つだったフットボールがサッカーとラグビーに分かれました。
現在でもどちらのスポーツもフットボールと表現される所以です。
フットボールがサッカーとラグビーは元々1つのスポーツだった
1800年代のイギリスでは高校(ハイスクール)でフットボールが盛んに行われていました。しかし、この当時、現代のサッカーやラグビーのような統一されたルールが存在していませんでした。
ある高校ではボールを足で蹴って運び、ある高校ではボールを手で運ぶなど、各高校の独自のルールでフットボールが行われてきました。
各高校が異なる独自のルールでフットボールをしていたため、他高校と試合をすることがとても困難でした。
そりゃあー、自分たちが手を使わないのに相手が手でボールを運んできたら度肝を抜かれますし、サッカーのドリブルの最中にラグビーのタックルをかまされたらたまったもんじゃないですよねー(笑)
試合の際は、どちらかのルールに合わせて試合が行われていましたが、当然満足のいく試合にはならなかったとか・・・
サッカーとラグビーが分かれた経緯
この当時のイギリスでは、試合を組むことが困難な状況が続いていました。
そこで、他チームと試合をしやすくするために、イングランドサッカー協会が1863年に現代サッカーの基盤になっている統一のルールが作りました。
このルールでは、ボールを手で運んではいけないことが含まれていました。
このルールがサッカーとラグビーの線引きをすることになりました。
次々と高校が新ルールを採用していく中、「ラグビー高校」は手でボールを運ぶルールを一貫し続けました。これがのちのラグビーに発展していきました。
このような経緯で、フットボールがサッカーとラグビーに分かれていきました。
おまけ
過去様々なところで、サッカーが行われていたことは前回・前々回の記事でご紹介致しましたが、現代ルールのサッカーが世界に広がった理由は、イギリス人が広げた説が有力です。
この当時のイギリスは産業革命が起こり、世界で最も高度な技術を有していました。この当時のイギリス人が、世界中に技術と共にサッカーを広げて行ったと言われています!!
この流れがあったからこそ、イギリスは「サッカーの母国」と呼ばれているのかも知れませんね~(^_^)
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!!